心身統一

 

◇心身一如

 

<何かをするときに、心で「やりたくない」と思いながら身体を動かすときがあります。いわゆる氣が向いていないときですが、疲れやすくて能率も悪く、良いことはなにもありません。一方自分が心で「やりたい」と思うことをするときには、疲れをほとんど感じずに能率も良くなります>

 

<前者は心を目標に向けずに身体だけ使う状態。すなわち心身分離の状態。後者は心を目標にしっかり向けて身体を使う状態、すなわち心身一如の状態です>

 

<心身一如も心身分離も私たちの日常生活に密接しているのです。二つのものを一つにしようと考えるから難しいのです。心と身体はもともと一つのもの、一つに使うのが自然な姿なのです。身体を動かす前に、まず心をはっきり用いることが大切です。そうすることで、心と身体を一つに使えるのです>

 

(「氣の呼吸法」藤平光一/幻冬舎文庫)

 

◇心身統一

 

<多くの人は心と身体を別々に使う心身分離の状態に陥っているので、心と身体をいつでも一緒に用いる訓練は必要です>

 

<ここで述べる心身統一とは、その訓練のことではなく、「天地自然と一体となる」ということです>

 

<心身統一とは、天地自然の理に合った心の在り方を実践することであり、天地自然の理に合った生き方を実践することでもあります>

 

(「氣の呼吸法」藤平光一/幻冬舎文庫)

 

◇心身統一の四大原則

 

一、臍下の一点に心をしずめ統一する

二、全身の力を完全に抜く

三、身体の総ての部分の重みを、その最下部におく

四、氣を出す

 

<私は誰でも心身統一をできる方法として「心身統一の四大原則」をまとめました。この四大原則は天地自然と一体になるための具体的な方法であり、四大原則そのものが目標ではありません>

 

(「氣の呼吸法」藤平光一/幻冬舎文庫)

 

臍下の一点

 

<下腹が重要なのは間違いないのですが、下腹は肉体的な力をこめる所ではなく、心を静める所なのです。下腹全体を意識していては力が入るのも当然です>

 

<私はそれゆえ、下腹の力の入らない無限小の一点を「臍下の一点」と名づけたのです。恥骨の上あたりを目安にするとよいでしょう。古来、臍下三寸といった所です>

 

<この無限小の一点に心を静めると、肉体的な力が入ることなく強く安定した下腹ができます。臍下の一点に心を静め、下腹が充実することで、心に落ち着きが生まれます>

 

(「氣の呼吸法」藤平光一/幻冬舎文庫)

 

上虚下実、というのはこの感覚を云うのであろう。

 

 

◇臍下の一点の意味

 

<天地自然は無限の半径で描いた無限の円周であり、球体であると言えます。そして私自身、その天地自然の中心であると言えます。ただし私だけが天地自然の中心であるという考えは間違っています。森羅万象、天地自然の中心です。無限の円周の中心はいくつあってもかまわないのです>

 

<この無限の円周を集約したものが自分であり、さらに集約したものが臍下の一点であると思えばよいのです。無限小に集約していく動の極地が静であり、これが正しい意味での臍下の一点です>

 

<一点が知覚できなくなるほど小さくなったとき「もうこの辺でよいだろう」などと止めると、それはもう「静止」ではなく「停止」です。静止状態は無限の動を含む最も安定した状態であり、停止状態は一切の動きがなくなった無力状態です>

 

<この世で停止しているものは何一つありません。心もまた同じです。停止状態は既に天地自然の理に反しているのです>

 

(「氣の呼吸法」藤平光一/幻冬舎文庫)