参考図書

 

●『氣の呼吸法』 藤平光一 幻冬舎文庫

 

 【書評・「ブログ」「メルマガ」などでの紹介記事】 

WEB GOETHE

http://goethe.nikkei.co.jp/musicbook/110331/

□日本著者販促センター

http://www.1book.co.jp/001989.html

□「記憶の季節」

http://d.hatena.ne.jp/Y103books/20090807

□「精神世界の叡智」

http://blog.livedoor.jp/longpa/archives/19680195.html

□「富屋散言堂ブログ」

http://blog.tomiya-daisuke.com/2013/02/blog-post.html

□「にょきにょきブログ」

http://aoking.hatenablog.jp/entry/20110915/1316092606

□「素晴らしいこと」

http://subarasiikoto.seesaa.net/article/211567913.html

□Amazon カスタマーレビュー

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4344411773/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1 

 

● 『息の発見』 五木寛之・玄侑宗久 角川文庫

 

20130310   

「(玄侑)密教では、自分から出たものが、邪気というふうに思わないんですよ。逆に、心の奥底に輝く息があると考えるんですね。自分が満月だ。その満月をとりこめというくらいに考えていますね」

「(五木)自分のなかに、すでにあるはずの正気を、めぐらせる」

「(玄侑)最初は、体のなかでだけでめぐらせ、それをだんだん巨大化していくんですね。自分が、球形のもののなかにいるとイメージする。めぐる息は、その球形の内側をまわっていくんですが、その球形がだんだん地球代、宇宙大にまでひろがっていく」

 

氣とは、天地自然=宇宙そものもで、人はその一部。自然の分身=自分。であれば邪気というものはないはず。「邪さ」は氣を止めたり留めたり引いたりする「心」にあるのではないでしょうか。本来ひとつである天地自然の氣と自分の氣の交流を妨げている心(邪心)があり、呼吸法はその心を囚われから解放し、心があるべき、静まった姿にもどしてくれるのだと思います。

 

20130313

こんなところに、藤平光一先生と片岡先生のお名前が!

 

<脱力すると神秘があらわれる>

「(玄侑)私の手を持ってギュッと曲げてもらえます?両手を使って、片方で腕を押さえて、もう片方で曲げてみてください」

「(編集者)こうですか。むむむ、曲がらない・・・」

「(玄侑)私は力を入れていないんです。本当に力を入れていない状態だと曲がらないんです」

「(玄侑)このことは、最初藤平光一さんという合気道の先生のお弟子さんの片岡さんという方に実践的に習ったんですよ。でも、脱力しているだけじゃないんです。また、脱力する方法は、いくつかあるんですね。ある呼吸法をするとか、」

「(玄侑)私が横になり、ある状態に自分をもっていって、スタッフの方に、両肩と足を持ち上げてもらったわけです。何分持ち上げていても、私の体は曲がらないんです。なぜそなるのかというのはわからないんです。ただ、呼吸法が大きく関係しているということと、直接呼吸法をどうこうしなくとも、結果的に呼吸法がある状態に向かっていくような、幾つかの方法があるということですね。」

「(五木)いやあ、まさに息の神秘ですね。」

 

(心身)統一体です。誰にでもできます^^

 

20130314  

「(五木)玄侑さんが気に入っている呼吸法はありますか」

「(玄侑)最近やっているのは、よけいなことを考えないで、吸った息が水色だと思う呼吸法ですね」

「(玄侑)皮膚全体からはいってくるイメージですが、それがむずかしければ、吸うときはどこからでもいいんです。そして吐くときは、皮膚全体から金色の光になって出ていくと」

「(玄侑)金色というのは、どこまでもひろがっていくでしょう。その感じが、とてもやりやすいですね。」

 

「(五木)喫水線呼吸法?聞いたことがないですね」

「(玄侑)まず、自分の体を空っぽの容器と見なします。その空っぽの容器に、足の裏からでも、脳天からでもいいんですが、息を吸うたびに水がはいってくるとイメージします。」

「(玄侑)水でも光でもいいんですが、一息吸うと、一気に全身に満ちる。そしてイメージで喫水線を描き続けます。息を吸って、足から脳天まで上っていく喫水線を、こんどは、吐きながら、ゆっくり下げていくわけです。」

 

 

呼吸法のときイメージを使う、というのはよく行われ、「氣の呼吸法」も然り(「氣の呼吸法の実践」ページ参照)。 ただ、人によって逆に妨げになる場合もあるので、各人各様でいいと思う。

 

息を吐くとき、どこまでもひろがっていく、という感じは大切で、金色の光というのは分かりやすい。「氣の呼吸法」では、天地(宇宙)の涯てまで氣を出して(通して)吐くと説明する。